大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14847号 判決

原告

田中末春

田中尚美

田中利春

田中美千代

右両名法定代理人親権者父

田中末春

右四名訴訟代理人弁護士

石井芳光

林浩二

被告

大坪滋

被告

大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

塩川嘉彦

右両名訴訟代理人弁護士

高木壮八郎

右訴訟復代理人弁護士

齋藤雅弘

被告

千代田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

川村忠男

右訴訟代理人弁護士

宮川光治

並木政一

右訴訟復代理人弁護士

古谷和久

主文

一  被告大坪滋は、原告田中末春に対し二〇四万四五五〇円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対しそれぞれ六八万一五一四円並びに右各金員に対する昭和五七年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告千代田火災海上保険株式会社は、原告田中末春に対し一七三万三五〇六円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対しそれぞれ五七万七八三四円並びに右各金員に対する昭和五七年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告らの被告大坪滋に対する本判決が確定したときは、原告田中末春に対し三一万一〇四四円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対しそれぞれ一〇万三六八〇円並びに右各金員に対する右判決確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用中、原告らと被告大坪滋との間に生じたものはこれを七分し、その一を被告大坪滋の、その余を原告らの各負担とし、原告らと被告千代田火災海上保険株式会社との間に生じたものはこれを三分し、その一を被告千代田火災海上保険株式会社の、その余を原告らの各負担とし、原告らと被告大東京火災海上保険株式会社との間に生じたものはこれを一〇分し、その一を被告大東京火災海上保険株式会社の、その余を原告らの各負担とする。

六  この判決は、主文第一ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  被告大坪滋は、原告田中末春に対し、一三五六万一三六八円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対し、それぞれ四五二万〇四五六円並びに右各金員に対する昭和五七年一二月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告千代田火災海上保険株式会社は、原告田中末春に対し、五〇〇万円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対し、それぞれ一六六万六六六六円並びに右各金員に対する昭和五七年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告らの被告大坪滋に対する本判決がそれぞれ確定したときは、原告田中末春に対し、一三五六万一三六八円、原告田中尚美、同田中利春及び同田中美千代に対し、それぞれ四五二万〇四五六円並びに右各金員に対する右判決確定の日の翌日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五七年三月二二日午後六時一五分ころ

(二) 場所 東京都多摩市愛宕一二二三番地先路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(岡五六ゆ四一一号)

右運転者 被告大坪滋(以下「被告大坪」という。)

(四) 被害車両 原動機付自転車(多摩市を九六六号)

右運転者 訴外亡田中紀世子(以下「亡紀世子」という。)

(五) 事故態様 被告大坪が、加害車両を運転して本件事故現場付近まで走行し、その道路左側に停車させたうえ運転席右側ドアを開放したため、右道路上を後方から進行してきた被害車両がこれに接触し、亡紀世子がその場に転倒した。(右事故を以下「本件事故」という。)

(六) 結果 亡紀世子は、本件事故により頭部外傷、頭蓋骨骨折、左前頭葉内出血、脳挫傷の傷害を受け、本件事故の日から調布病院に入院中、同年六月二五日午後一時ころ、入院先の調布病院トイレ内において浴衣のひもによつて縊死した。

2  本件事故と亡紀世子の死亡との因果関係

(一) 亡紀世子は、前記傷害により脳障害を生じ、てんかん発作症状で発作的に自殺した。

(二) または、亡紀世子は、前記傷害により反応性うつ病にかかり、右により自由意思を奪われた状態で自殺した。

(三) 仮にそうでないとしても、亡紀世子は、本件事故による脳挫傷及びこれによる自律神経失調症により、吐気、頭痛及び不眠等の各症状が継続的に続き、通常人では耐えられない程の肉体的精神的苦痛により自殺した。

よつて、本件事故と亡紀世子の死亡との間には相当因果関係がある。

3  責任原因

(一) 被告大坪の責任

被告大坪は、加害車両を運転中、後方の安全を確認しないまま運転席右側のドアを急に開放した過失によつて本件事故を発生させたものであるから、民法第七〇九条の規定に基づき原告らの損害を賠償すべき責任を負う。

(二) 被告千代田火災海上保険株式会社(以下「被告千代田火災」という。)の責任

被告千代田火災は、加害車両を所有する訴外山陽リコー株式会社(以下「訴外会社」という。)との間において、加害車両につき、保険期間を昭和五六年五月一〇日から昭和五八年五月一〇日までとする自動車損害賠償責任保険契約(以下「本件自賠責保険契約」という。)を締結しているから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第一六条第一項の規定に基づき損害を賠償する責任を負う。

(三) 被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京火災」という。)の責任

被告大東京火災は、加害車両を所有する訴外会社との間において、加害車両につき、保険期間を昭和五六年六月二三日から昭和五七年六月二三日までの間とし、対人賠償保険金額を七〇〇万円とする自動車保険契約(以下「本件任意保険契約」という。)を締結しており、被告大坪が訴外会社の承諾を得て加害車両を運転していたものであるから、原告らの被告大坪に対する本判決が確定したときは、無資力である被告大坪の被告大東京火災に対する本件任意保険契約に基づく保険金請求権の原告らの代位請求に対し、保険金を支払うべき責任を負う。

4  損害

(一) 治療費 二五一万八一一六円

亡紀世子は、本件事故により、調布病院において本件事故日から死亡日まで(同年五月一三日一旦退院し同月一八日再入院)入院治療を受け、その治療費として、二五一万八一一六円を要した。

その他、亡紀世子の治療費としては、府中病院における検査料として三万一九八〇円、診断書作成料として二〇〇〇円を要したが、これらについては、被告大東京火災から支払を受け法定相続分の割合で損害に充当した。

(二) 入院雑費 七万五二〇〇円

亡紀世子は、前記九四日間の入院中、一日あたり八〇〇円の雑費を支出した。

(三) 看護料 二八万二〇〇〇円

亡紀世子は、前記九四日間の入院中、一日あたり三〇〇〇円の看護料を要した。

その他、亡紀世子の看護料としては、昭和五七年三月二六日から同年五月一三日までの間の付添看護料として合計四六万四二四九円を要したが、これについては、被告大東京火災から支払を受け法定相続分の割合で損害に充当した。

(四) 休業損害 五〇万二二九九円

亡紀世子は、本件事故当時満四一歳で、主婦のかたわらパートタイマーとして稼働していたが、本件事故により約三ケ月間就労不能であつた。四一歳の女子の平均賃金は月額一六万七四三三円であるから、亡紀世子の休業損害は五〇万二二九九円となる。

(五) 逸失利益 二〇二一万七五三四円

亡紀世子は、死亡当時満四一歳であつたから、本件事故により死亡しなければ、二六年間稼働可能であり、その間前記平均賃金額を下らない収入を得られたはずであるから、右収入を基礎に、生活費として三〇パーセントを控除したうえ、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、亡紀世子の逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、二〇二一万七五三四円となる。

167,433×12×(1−0.3)×14.375=20,217,534

(六) 慰藉料 合計一二八八万円

亡紀世子は、本件事故により、前記傷害を受け前記期間入院し、死亡するに至つたものであり、その慰藉料としては、入院分が八八万円、死亡分が一二〇〇万円が相当である。

(七) 相続

原告田中末春(以下「原告末春」という。)は亡紀世子の夫であり、原告田中尚美(以下「原告尚美」という。)、同田中利春(以下「原告利春」という。)及び同田中美千代(以下「原告美千代」という。)は亡紀世子の子であつて、亡紀世子の死亡により、その損害賠償請求権を法定相続分に従い、原告末春二分の一、原告尚美、同利春及び同美千代各六分の一の割合でそれぞれ相続取得した。

(八) 葬儀費用 合計七〇万円

原告らは、亡紀世子の葬儀を行い、その費用として七〇万円を、前記法定相続分の割合で支出した。

(九) 損害のてん補

原告らは本件事故に基づく亡紀世子の傷害による損害に対するてん補として、前記既払金のほか、被告千代田火災から一二〇万円、被告大東京火災から一三一万八一一六円の支払を受け、また亡紀世子の死亡による損害に対するてん補として被告千代田火災から一〇〇〇万円の支払を受け、これらを法定相続分の割合で原告らの前記損害に充当した。

(一〇) 弁護士費用 合計二四六万五七〇三円

原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため、弁護士である原告ら訴訟代理人らに本訴の提起と追行を委任し、請求額の一割相当である二四六万五七〇三円の報酬を法定相続分の割合で支払う旨約した。

5  よつて、原告らは、被告大坪に対し、本件事故による損害賠償として、原告末春において一三五六万一三六八円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ四五二万〇四五六円並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を被告千代田火災に対し、本件事故に基づく亡紀世子の死亡による損害賠償として、原告末春において五〇〇万円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ一六六万六六六六円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一二月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告大東京火災に対し、原告らの被告大坪に対する本判決が確定したときは、原告末春において一三五六万一三六八円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ四五二万〇四五六円及び右各金員に対する右判決確定の日の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

二請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は全部認める。

2  同2の事実は否認する。

(被告大坪及び被告大東京火災)

亡紀世子がてんかん発作を起こした事実は全くなく、亡紀世子の症状は外傷精神病という程のものではなかつた。また、亡紀世子の頭部外傷は頭蓋内小血腫が自然吸収される程度のもので、脳挫傷の程度も軽く、吐気等の症状もいずれは緩和軽快するもので自殺に至る程の重篤なものではなかつた。要するに、亡紀世子の自殺の原因は不明であるが、本件事故による外傷後神経衰弱状態に医療への不審等が加重され、衝動的に死を選んだものとも考えられる。

したがつて、本件事故と亡紀世子の自殺との間には相当因果関係はない。

(被告千代田火災)

亡紀世子は、本件事故による受傷以来自殺までの間、てんかん発作を起こしたことは一度もなく、脳波測定記録上もCTスキャン検査上もてんかんの可能性は極めて低く、てんかん発作を起こした可能性も低い。仮にてんかん発作を起こしても、それが自殺を伴う可能性も低い。また、亡紀世子は、反応性うつ病の典型的症状も呈しておらず、反応性うつ病と診断されておらず、抗うつ剤の投与も受けていなかつた。したがつて、亡紀世子が本件事故による受傷によつて精神に異常をきたし、自己を喪失した状態で自殺行為に及んだものではない。

また、亡紀世子の本件事故による傷害ないし後遺障害による苦痛は通常ならば何人も堪え難いと認められる程度のものではなかつたし、亡紀世子の自殺は、亡紀世子がその入院していた病院の医療看護体制全般に対し強い不満と不信感を抱き、そのため焦燥感、精神的不安が昂進していつたこと、亡紀世子がレントゲン検査の過程またはその直後に胃外腫瘤、臓癌の疑いがあることを検査担当医からもれ聞いた疑いが濃いこと、原告末春との疎遠な状況等によつて孤独感を深めていつたこと等が一因となつていたものとも考えられる。

したがつて、本件事故と亡紀世子の自殺との間には、相当因果関係がない。

3  (被告大坪)

同3の(一)の事実は否認する。

(被告千代田火災)

同3の(二)の主張は争う。

(被告大東京火災)

同3の(三)の事実のうち、被告大東京火災が加害車両を所有する訴外会社と本件任意保険契約を締結したこと、被告大坪が無資力であることは認め、その余は否認する。

なお、被告大東京火災は、保険約款上、自賠責保険によつて支払われる金額を超える損害額についてのみ支払をなす責任を負うにすぎないものである。

4  同4の事実のうち、(七)及び(九)の事実、(一)のうち府中病院における検査料として三万一九八〇円、診断書作成料として二〇〇〇円を要し、これを被告大東京火災が支払つて法定相続分に従い原告らの損害に充当したこと並びに(三)のうち昭和五七年三月二六日から同年五月一三日分の付添看護料として四六万四二四九円を要し、これを被告大東京火災が支払つて法定相続分に従い原告らの損害に充当したこと並びに(四)のうち亡紀世子が主婦のかたわらパートタイマーとして稼働していたことは認め、その余は不知。

5  同5の主張は争う。

三抗弁(過失相殺)

1  本件事故当時、停車中の加害車両の運転席には被告大坪が塔乗しており、下車のため運転席側ドアを開放することが通常ありうるのであるから、亡紀世子としては前方を注視し、加害車両との間隔を十分とる等、被告大坪の動静に注意を払つて被害車両を運転すべきであつたにもかかわらず、これを怠つた過失がある。

2  また、亡紀世子は本件事故当時ヘルメットを装着せずに被害車両を運転していたため、頭部外傷を主とする前記傷害を受けるに至つたもので、亡紀世子には、ヘルメットを装着していなかつた過失がある。

よつて、本件事故につき亡紀世子にも右のような過失があるので、過失相殺をなすべきである。

四抗弁に対する認否

抗弁事実は否認しその主張は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(事故の発生)の事実はいずれの当事者間においても争いがない。

二そこで、請求原因2(本件事故と亡紀世子の死亡との因果関係)について判断する。

1右争いのない事実、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  亡紀世子は、昭和一五年一一月一〇日に三人姉妹の長女として出生し、昭和三八年に同郷の原告末春と結婚して、その間に一男、二女を儲け、本件事故当時は、夫末春、高校生の長女原告尚美、中学生の長男原告利春、小学生の次女原告美千代との五人で生活していた。亡紀世子は、家事のかたわらパートタイマーとしてマルチ電機に勤務し、日曜日を除く毎日午前九時から午後五時までテレビ組立の作業に従事しており、健康で病院に行くことがないほどで、外で働くのも好きであつた。また、亡紀世子は、明るい性格であるうえ真面目で、我慢強く、しかも親しい友人が多く、夫や子供達とも円満に仲よく暮していたから、本件事故前には、ノイローゼになるような徴候は皆無であつた。

(二)  亡紀世子は、昭和五七年三月二二日、本件事故により右後頭部を打つて頭部外傷、頭蓋骨骨折、左前頭葉内出血及び脳挫傷等の傷害を受け、事故直後一過性の健忘さらに悪心、嘔吐、バビンスキー反射、眩暈、動眼神経麻痺及び飛蚊症様の視野黒斑等の症状を呈し、毎日のようにこめかみ痛や眼底痛等の頭痛を訴えていた。これに対し、亡紀世子が入院治療を受けていた調布病院は、本件事故後一週間位まではステロイドホルモン、止血剤及び脳圧降下剤を、その後は脳代謝賦活剤、活性ビタミン及び自律神経失調に対する薬であるハイゼット等の薬を投与することを中心とした保存的療法を行つた。

(三)  亡紀世子は、同年五月一三日に一旦調布病院を退院して帰宅したが、自宅においても寝ているだけで、食欲不振、頭痛及び吐き気等脳挫傷に伴う自律神経及び迷走神経に対する刺激によつて生じる症状が継続したため、再び同月一七日同病院に入院し、同日、CTスキャン検査を受けたところ、左前頭葉下部の血腫は吸収されないまま残つていた。そこで、同病院では、再入院後も退院前同様脳代謝賦活剤等を投与したが、亡紀世子が一度もてんかん発作を呈したことがなかつたため、肝機能の悪化の副作用を伴う抗てんかん剤などは投与せず、また同病院の脳神経外科医が主として亡紀世子の診断治療にあたり、専門の精神科医と相談することもなかつたため、亡紀世子がうつ病に罹患しているか否かは全くわからず、したがつて、抗うつ剤を亡紀世子に投与することもなかつた。

(四)  再入院後、亡紀世子には特に症状の変化が見られず、相変わらず吐気、眩暈及び頭痛特に左側頭部重圧感等を訴えていたが、同年六月一六日病院側から新館の患者のいない四階の病室に転室させられ、その二、三日後には隣室に患者が一名入室したものの、翌日には退院したため、四階には他に入院患者は全くいない状態になつた。亡紀世子は、同月二一日ころから毎日のように不眠を強く訴えるようになり、不眠の際は吐気、耳鳴及び頭痛が伴いつらい旨看護婦に訴えているほか、毎日の医師の回診の際の自覚症状の覚え書として認めたメモ書にも右の症状のほか食欲不振、吐血、苦痛、落ちつきがなくなり、手がふるえるなどと書き残していた。

(五)  亡紀世子は、入院中来院する夫などに対しては早く治して退院し、夫や子供の世話などをしたい旨の希望を述べていたほか、毎日のように自宅に電話して、子供に食事の仕度などを指示し、また、吐気や不眠等の苦痛を訴えても医師が適切な措置をとつてくれないなどと夫に対し愚痴をこぼしてはいたが、自殺するような気配は感じられなかつた。

(六)  同年六月二五日、前記病院において胃部痛及びむかつきを訴え、これが内臓疾患によるものと考えて検査を望んでいた亡紀世子に対し、午前一一時過ぎから消化器系のレントゲン検査を実施したが、結果には異常がなかつたため、検査直後内科医が亡紀世子にその旨を伝え、また同日午前一一時三〇分ころ脳神経外科医が検査を終えて病室に戻つた亡紀世子に対し消化器系の検査では異常がなく、胃部痛やむかつきも頭を打つたことにより発現した症状であるからこのままもう少し我慢すれば快方に向う旨告げた。ところがその後、看護婦が亡紀世子の病室を訪室したところ、亡紀世子が在室せず、ベットのそばには靴がきちんと置かれ、食事にも手をつけていなかつたため、不審に思つて病院内を探したところ、トイレと風呂の間の上の桟に浴衣の紐をひつかけて縊死しているのを発見した。

2以上の認定事実を総合勘案すると、亡紀世子は、本件事故により頭蓋骨骨折、左前頭葉内出血及び脳挫傷等の傷害を受け、事故後三ケ月もの間継続して、吐気、頭痛等の症状が発現し、絶えず右苦痛を訴え続けてきたが、自殺前四日間位は、ほとんど睡眠がとれず、頭痛、吐気等が一向におさまらず、手のしびれや吐血するに及び、また胃部痛、吐気が他の内臓疾患によるものではないかとの思惑でなされたレントゲン検査によつても内臓疾患でなく頭部損傷によつて発現した症状であることを告げられたため、病気及び自己の症状に対する強度の不安が一気に増悪し、感情面を支配する前頭葉の傷害により抑制力を失つたことも相俟つて、発作的に自殺に及んだものと推認することができる。

なお、〈証拠〉によれば、法政大学教授兼同大学人間科学研究所教授である千葉康則は、亡紀世子の調布病院における診療録、看護日誌、諸検査の結果等を検討のうえ、亡紀世子の脳波所見からは、同女がてんかん発作を起こす可能性は低く、また、同女には、反応性うつ病の典型的症状も認められず、これらが原因となつて同女が自殺したとみることは困難である旨判断しており、他に亡紀世子が自殺時てんかん発作を起こしたとか、全く自由意思を失つた状態で自殺したと認めるに足りる証拠はない。

右認定のとおり、亡紀世子の自殺は、本件事故による受傷を主たる原因として生じた結果というべきであり、一般に、交通事故による傷害ないし障害を原因として被害者が自殺することは、傷害ないし障害の部位あるいは程度によつては、予見不可能な事態とはいえないところ、前記認定の事実関係、殊に、本件における亡紀世子の受傷部位が感情を支配する前頭葉であつて、この傷害が自殺意思の形成ないしその抑制力の減弱の原因となつていること等を総合すると、亡紀世子の自殺と本件事故による受傷との間には、相当因果関係があるものというべきである。

もつとも、自殺の場合には、通常、本人の自由意思により命を絶つという一面があることは否定できないところであり、本件においても、亡紀世子が全く自由意思を失つた状態で自殺したものとは認められないことは前示のとおりであるから、このような場合に、自殺による損害のすべてを加害者に負担させることは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の根本理念からみて相当でないものというべきである。そこで、民法第七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、自殺に対する亡紀世子の自由意思の関与の程度を斟酌して加害者の賠償すべき損害額を減額するのが相当であると解されるところ、前記認定の諸事情を総合勘案すれば、亡紀世子の死亡による損害についてはその五割を減額するのが相当である。

三次いで、被告らの責任について判断する。

1被告大坪の責任

〈証拠〉によれば、本件事故現場は、東京方面(東方)から八王子方面(西方)に通じる車道幅員約一一メートルの道路で、両側に幅員約二・五メートルの歩道が設置されており、本件事故現場付近は、南方へ通じる幅員約六メートルの道路とのT字型の交差点になつていること、被告大坪は、本件事故現場付近で買物をするため、右交差点の直ぐ西側の東京方面から八王子方面に向かう車線の左側路側帯に加害車両を停車させたのち、後方からバスが進行してくるのを認めて、その通過を待つたが、その後、後方から被害車両が進行してくるのに気付かないまま、加害車両の運転席右側のドアを開放し、このため、右ドアを被害車両に接触させて、亡紀世子をその場に転倒させたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によれば、被告大坪には、後方の安全を十分に確認しないまま運転席右側ドアを急に開放した過失があるものというべきであり、本件事故は、同被告の右過失によつて発生したものというべきであるから、被告大坪は、民法第七〇九条の規定に基づき、原告らが被つた損害を賠償すべき責任を負うものといわざるをえない。

2被告千代田火災の責任

〈証拠〉によれば、被告千代田火災が加害車両を所有する訴外会社と加害車両につき本件自賠責保険契約を締結していることが認められ、右事実を覆えすに足りる証拠はないから、被告千代田火災は、自賠法第一六条第一項の規定に基づき被害者に対し、保険金の限度において、損害賠償額の支払をなす義務を負うものというべきである。

3被告大東京火災の責任

被告大東京火災が加害車両を所有する訴外会社と加害車両につき本件任意保険契約を締結したこと、被告大坪が無資力であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告大坪は訴外会社の承諾を得て加害車両を運転していたものと認められ、右認定に反する証拠はないから、被告大東京火災は、保険約款上、原告らの被告大坪に対する本判決において、自賠責保険によつて支払われる額を超過する損害額が確定したときには、被告大坪の被告大東京火災に対する本件任意保険契約に基づく保険金請求権の原告らの代位請求に対し、保険金額の限度において、保険金を支払うべき義務を免れないものといわざるをえない。

四進んで、原告らの損害について判断する。

1治療費 二五五万二〇九六円

〈証拠〉によれば、亡紀世子は、本件事故により、調布病院において昭和五七年三月二二日から同年五月一三日まで及び同月一七日から同年六月二五日まで入院治療を受け、その治療費として、二五一万八一一六円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の他、亡紀世子の府中病院における検査料として三万一九八〇円、診断書作成料として二〇〇〇円を要したことは、当事者間に争いがない。

2入院雑費 七万四四〇〇円

亡紀世子が調布病院に合計九三日間入院して治療を受けたことは前示のとおりであり、右の事実によれば、亡紀世子は、右入院中一日あたり八〇〇円を下らない金額の雑費を支出したものと推認することができ、右推認に反する証拠はない。

3看護料 四六万四二四九円

亡紀世子の昭和五七年三月二六日から同年五月一三日までの間の付添看護料として合計四六万四二四九円を要したことは、当事者間に争いがない。

なお、右のほかに亡紀世子の看護料を要したことを認めるに足りる証拠はない。

4休業損害 五〇万二二九九円

亡紀世子が主婦のかたわらパートタイマーとして稼働していたことは前示のとおりであり、また、前示の治療経過に照らすと、亡紀世子は、本件事故による受傷のため、死亡までの約三ケ月余の期間主婦としてもパートタイマーとしても稼働することができなかつたことが明らかである。

右の事実に昭和五七年賃金センサス第一巻第一表、企業規模計、産業計、学歴計、女子労働者、全年齢平均給与額が年額二〇三万九七〇〇円であることを考慮すると、亡紀世子は、原告ら主張にかかる五〇万二二九九円を下らない金額の休業損害を被つたものと認めることができ、右認定に反する証拠はない。

5逸失利益 一〇一〇万八七六七円

前示の亡紀世子の年齢(死亡当時満四一歳)、稼働状況に照らすと、亡紀世子は、本件事故により死亡しなければ、満六七歳までの二六年間稼働可能であり、その間原告ら主張の月額一六万七四三三円を下らない財産上の利益を得られたはずであるから、右利益を基礎に生活費として三〇パーセントを控除したうえ、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、亡紀世子の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、その合計額は二〇二一万七五三四円(一円未満切捨)となる。

167,433×12×(1−0.3)×14.375=20,217,534

そして、亡紀世子の死亡による損害については、過失相殺の法理の類推適用により、五割の減額をするのが相当であることは前示のとおりであるから、右認定の逸失利益から五割を減額すると、残額は一〇一〇万八七六七円(一円未満切捨)となる。

6慰藉料 合計六八八万円

前示の亡紀世子の傷害、入院期間、死亡に至る経緯、その年齢その他本件において認められる諸般の事情を考慮すると、亡紀世子の傷害による慰藉料は八八万円、死亡による慰藉料は一二〇〇万円がそれぞれ相当と認められるところ、前記5と同様、死亡による損害については五割の減額をするのが相当であるから亡紀世子の死亡による慰藉料は六〇〇万円となる。

7相続

原告末春が亡紀世子の夫であり、原告尚美、同利春及び同美千代が亡紀世子の子であつて、原告らが、亡紀世子の死亡により、その損害賠償請求権を法定相続分に従い、原告末春二分の一、原告尚美、同利春及び同美千代各六分の一の割合でそれぞれ相続取得したことは当事者間に争いがない。

したがつて、亡紀世子の本件事故に基づく傷害による損害につき、原告末春は二二三万六五二二円、原告尚美、同利春及び同美千代はそれぞれ七四万五五〇七円(一円未満切捨)の、亡紀世子の死亡による損害につき、原告末春は八〇五万四三八三円(一円未満切捨)、原告尚美、同利春及び同美千代はそれぞれ二六八万四七九四円(一円未満切捨)の各損害賠償請求権を相続によつて取得したこととなる。

8葬儀費用 合計三五万円

〈証拠〉によれば、原告らは亡紀世子の葬儀を行い、その費用として七〇万円を法定相続分の割合で支出したことが認められるが、前記5と同様、死亡による損害については五割の減額をするのが相当であるから、右葬儀費用の損害額は合計三五万円となる。

9過失相殺

〈証拠〉を総合すれば、亡紀世子は、前示のT字型交差点の南東角にある京王ストアで買物をしたのち、被害車両を運転して、同店前の歩道から本件事故現場の道路に出、加害車両の左後方から同車の右側面に向かつて斜めに進行し、同車の直ぐ右側を通過しようとした際、開放された同車運転席側のドアに接触して転倒したこと、加害車両は普通乗用自動車であつて、亡紀世子が進行してきた方向から同車の運転席の状況を確認することは可能であり、したがつて、亡紀世子において十分同車の状況を注視していれば、右ドアが開放されることを予測することも可能であつたとみられること、亡紀世子は本件事故当時ヘルメットの紐が切れていたため、これを装着していなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右の事実によれば、亡紀世子には、停車中の加害車両の右側を進行するにあたり、加害車両の動静を注視するとともに、加害車両との間隔を十分に開けて走行すべき注意義務があるのに、これを怠たり、漫然と同車右側直近を進行した過失があるものというべきであり、その他右諸般の事情を考慮して右亡紀世子の過失と前示の被告大坪の過失を対比すると、亡紀世子には、本件事故の発生につき二割の過失があるものと認めるのが相当である。

10損害のてん補 合計一三〇一万六三四五円

以上の原告らの本件事故に基づく亡紀世子の傷害による損害は、原告末春一七八万九二一七円(一円未満切捨)、原告尚美、同利春及び同美千代各五九万六四〇五円(一円未満切捨)となり、亡紀世子の死亡による損害は、原告末春六五八万三五〇六円(一円未満切捨)、原告尚美、同利春及び同美千代各二一九万四五〇一円(一円未満切捨)となるところ、原告らが本件事故に基づく亡紀世子の傷害による損害に対するてん補として、被告千代田火災から一二〇万円、被告大東京火災から一八一万六三四五円の支払を受け、亡紀世子の死亡による損害に対するてん補として被告千代田火災から一〇〇〇万円の支払を受け、これらを法定相続分の割合で原告らの前記損害に充当したことは当事者間に争いがないから、残損害額は傷害分につき、原告末春二八万一〇四四円(一円未満切捨)、原告尚美、同利春及び同美千代各九万三六八〇円(一円未満切捨)となり、死亡分につき、原告末春一五八万三五〇六円(一円未満切捨)、原告尚美、同利春及び同美千代各五二万七八三四円(一円未満切捨)となる。

11弁護士費用 合計三六万円

〈証拠〉によれば、原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため、弁護士である原告ら訴訟代理人らに本訴の提起と追行を委任し報酬を支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の内容、難易、審理の経過及び前示認容額に照らすと、原告らが求めうる本件事故と相当因果関係のある損害額としての弁護士費用としては、被告千代田火災に対しては、原告末春分一五万円、原告尚美、同利春及び同美千代分各五万円を、被告大東京火災に対しては、原告末春分三万円、原告尚美、同利春及び同美千代分各一万円をもつてそれぞれ相当と認める。

五結論

以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告大坪に対し、原告末春において二〇四万四五五〇円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ六八万一五一四円及び右各金員に対する本件事故発生の日ののちである昭和五七年一二月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告千代田火災に対し、亡紀世子の死亡による損害として原告末春において一七三万三五〇六円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ五七万七八三四円及び右各金員に対する本件事故発生の日ののちである昭和五七年一二月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告大東京火災に対し原告らの被告大坪に対する本判決の確定を条件として、亡紀世子の傷害による損害として原告末春において三一万一〇四四円、原告尚美、同利春及び同美千代においてそれぞれ一〇万三六八〇円及び右各金員に対する右確定の日の翌日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎 勤 裁判官小林和明 裁判官比佐和枝)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例